学校沿革

(学校沿革)

1900~2001 下館二高沿革

1900(明治33年)   下館町立裁縫女学校として大町に創立。
 1910(明治43年)   下館町立女子技芸学校と改称。
 1912(明治45年)   真壁郡立実科高等女学校と改称。
 1913(大正 2年)   富士の越(現富士見町)に新校舎を落成し移転する。
 1921(大正10年)   茨城県下館高等女学校と改称。
 1922(大正11年)   県立に移管され,茨城県立下館高等女学校と改称。
 1923(大正12年)   伊讃村(現在地)に新校舎が完成し移転。
 1932(昭和 7年)   創立30周年記念式典開催。
 1935(昭和10年)   専攻科が県立に移管され,補習科となる(定員50名)。
 1939(昭和14年)   茨城県令第23号により本科生定員800名に改められる。
 1943(昭和18年)   学制改革により,補習科を廃し専攻科を置く。
 1946(昭和21年)   五年制高等女学校となり22学級,定員1100名となる。
 1948(昭和23年)   県立に移管され,茨城県立下館女子高等学校と改称し,定員1050名。専攻科廃止。
 1949(昭和24年)   男女共学制実施により,下館第二高等学校とに名称変更。
 1952(昭和27年)   創立50周年記念式典兼講堂落成記念式典開催。
 1953(昭和28年)   普通科に加え家庭科を設置する。生徒定員普通科1050名,家庭科150名となる。
 1962(昭和37年)   家庭科の募集停止。普通科のみ8クラスとなる。 創立60周年記念式典開催。
 1963(昭和38年)   普通科1クラス増設。
 1964(昭和39年)   家庭科を廃止し普通科のみとなり,生徒定員1300名。
 1966(昭和41年)   プール建設。
 1971(昭和46年)   鉄筋4階建ての新校舎(教室棟)完成。
 1972(昭和47年)   管理棟完成。
 1973(昭和48年)   創立70周年記念式典開催。
 1976(昭和51年)   恵幸会館(同窓会館兼合宿所,鉄筋2階建)。
 1979(昭和54年)   講堂兼新体育館完成。弓道場新築。
 1980(昭和55年)   特別教室棟(鉄筋4階建)完成。
                創立80周年記念式典開催。
 1990(平成 2年)   第二体育館完成。
                創立90周年記念式典開催。
 1994(平成 6年)   ブライトホール(学習会館)新築。
 1995(平成 7年)   全学年男女共学となる。
 1999(平成11年)   募集定員が1クラス減の8クラス・320名となる。
 2000(平成12年)   創立100周年記念式典開催。
 2002(平成14年)   募集定員が1クラス減の7クラス・280名となる。
 2008(平成20年)   教室棟にエアコン設置。
 2009(平成21年)   管理棟耐震化補強及び外壁塗装。
 2010(平成22年)   創立110周年記念講演(記念講演 ピーター・フランクル氏)。
 2014(平成26年)   書道・音楽・美術教室にエアコン設置
                 体育館耐震補強工事
 2015(平成27年)   教室棟新築

 

100年の伝統を受け継ぎ新たな始動

  創立は1900年,20世紀とともに歩んできた県西地区の伝統校です。約2万4千人の有為な人材を送り出した伝統に,今新しい飛躍の時がおとずれています。平成5年度から始まった男女共学化も順調に進み,男子生徒数は全体の4割に達しました。共学化に伴う施設・設備も十分に整っています。また,部活動への参加率は男女とも高く,学習と両立させている生徒たちの表情は,健康的で明るさに満ちています。

  大多数の生徒が進学を希望していることから,進路希望を実現できるようなカリキュラムと,それぞれ特色を持った3つのコースで対応しています。平成6年7月に完成したブライトホールは,一度に175人が学習できる自学自習室です。冷暖房の完備した快適な環境の中で放課後遅くまで,あるいは夏休みや冬休みなどの長期休業中に熱心に学習する生徒が多く,その成果がここ数年の大学や短大への進学率の向上となって現れています。

  また,人間として大切な礼儀作法や思いやりの心を育てることなどの指導にも力を入れています。生徒会が取り組んでいるボランティア活動や,家庭クラブが取り組んでいる独居老人給食サービスなどはその一例です。

  部活動は文化部・運動部ともに盛んで,伝統ある女子は各部の総合得点で県女子の部で常に上位の成績を納めています。男子の部でも県大会で上位の成績を納めるなど着実に実績を上げつつあります。